Mama, do you remember?

90年代のテニスの試合を見たくなってUSオープン1995より女子シングルス準決勝のシュテフィ・グラフVSガブリエラ・サバティーニを見ていました。みなさんはグラフのライバルといえば誰を思い浮かべるでしょうか。実績から考えればセレスを筆頭にナブラチロワやアランチャ・サンチェスあたりを挙げるのが妥当なところなんだろうけど、文化的・美学的なテクストとして捉えた場合およそこのガブリエラ・サバティーニほど完璧にグラフの対極に位置した存在はいなかったように私には思えます。中央にストリングパターンが密集した85平方インチのウィルソン・プロ・スタッフでボールを叩き潰すようなグラフのストイックなフラットドライブに対し、サバティーニの情熱的なトップスピンはオーバーサイズのラケットのせいもあってか極楽鳥の羽ばたきを思わせる華麗なフォームから放たれ、いずれのストロークも各々が育った世界の価値観や文化的・民族的・宗教的土壌を体現するかのようでした。2人ともそれぞれのあり方で女子テニスというものの美しさを最大限に示してくれた。特に個性が際立ったのがバックハンドのスライスで、サーフェスを切りつけるようなグラフの弾道も、より回転を増やしてゲームに絶妙な真空の時間を作り出すサバティーニのそれも気持ち良かった。グラフが引退してから女子ツアーは本当に退屈になりました。醜いベースライナーばかりが幅を利かせ、女性特有の優雅さや上品さ、肉体美や様式美というものは軽んじられて、単なる運動競技の世界に堕してしまった気がします。女子スポーツには男子のそれが失ってしまったcompetition以上のもの、高雅にして崇高なリクリエーションの理想を、卑しい競技性に縛られること無く追求して欲しいと思う。僕は薄いグリップのストローカーとしてはグラフの影響をかなり受けていて、彼女がパスのときだけ見せる手首を曲げたバックハンドのトップスピンを不安定だからやめろと言う周囲の声にも耳を貸さず恒常的に使っていました。そういえばもう随分長い間テニス自体プレーしていない。僕の今年のテーマの一つとしてかつて愛した世界への回帰ということがあるんですが、90年代の自分が情熱を傾けていたゲームをもう一度楽しむために、そろそろコートに戻るべきときなのかもしれないと今は思っています。