Shut the fuck up

ライカールトは何も説明する必要はないと思う。説明責任とかそんな言葉が好きな人もいるけど、凡庸な人間に対して説明できること、彼らが理解できることってそもそもレベルの低いことだし何の面白味もないようなことなんだって思うよ。そうできないことを表現するためにアートがあるし、レベルの高いサッカーもそれをするものであって欲しい。最近は世間に啓蒙思想的な合理主義が蔓延していて嫌になります。自らが理に適っているゆえに正しくて支配者の悪しき不合理が常に自分たちを虐げているみたいな考え方が嫌だ。古典的な対立の図式から吐き出される言葉は卑屈な被害者意識に満ちた醜悪なもので。そんな合理主義がいかに恣意的で論理の外にいる他者に対してどれほど抑圧的なものであるかも彼らは分かろうとしない。僕がサッカーに求めたいのはそういったテクストからの自由、パッションとエモーション、衝動、欲望、無意識、ロマン、愛、そして永遠、といったむしろ非合理的なものであり、フットボールはまさに信仰のように必然性はなくとも必要とされるものなんだ。到底理解し難いヒロイックなリーダーのグレートマインドが我々を導いてくれることを僕は願ってるし、その価値のある人間だけが口を利けばいいと思う。誰もが何かを言いたがる世の中だけど、技術の進歩に品性や教養が追いついていない状況で生み出される言葉は断定的で詩の美しさを欠いた卑しい自己主張でしかありません。少なくともサッカーは愛し楽しむもので批判や分析の対象にするようなことではないだろう。恨み辛みを述べたり権利を殊更に主張するのは下品だし無粋だしジェントルマン的ではないと思う。アイドルとかに関してもそうだけど。Berryz工房がファンクラブイベントばかりやってコンサートの練習をしないのはけしからんみたいなことを言ってる人がいてマジでうざいと思った。Berryzウィーンフィルやメトロポリタンオペラやロイヤルシェイクスピアカンパニーならまだ分からないでもないが一体アイドルエンターテインメントを何だと思っているのか。そんなくだらないことで僕の好きなアイドルの悪口を言って俺を不快にさせるこいつは何様なんだろう。美少女は賛美し崇拝し欲情するものであって非難するものではないです。