華奢な腕と大きな胸

れいなと小春のコーナーに触発されて回文を検索していたらAn ole crab was I, ere I saw Barcelona.というのがあったよ。こんなシュールなセンテンスから始まる小説ってありそうだ。一番読みたくないタイプの小説です。英語は音節の構造上スペイン語や日本語に比べてこういう言葉遊びはやりにくそうっぽい。英語って本当は詩作で韻を踏むのにも向いていないんだよね。ペトラルカ式のソネットは脚韻が4種類しか使えなくて厳しいというのでABABCDCDEFEFGGのシェイクスピアスタイルが開発されたらしい。そういった制約を感じさせず自由自在に振る舞っていたロバートフロストはやはりすごいです。

ミュージックステーションを見たら美貴ちゃんが相当ボーカルの精度を落としていた。でも基本的にいつもこんな感じだったっけ。まあ歌唱力なんてどうでもいいです。最近好きなのは美勇伝です。「愛〜スイートルーム〜」の楽しさに溢れた映像と狂った歌詞に魅了されてしまう。3人と少人数なので一人一人たっぷりみれるのがいいね。毎回三好絵梨香とか中心にレズっぽい世界が展開されていて微笑ましい。最近岡田唯ソロDVDを見たのですがかなり度肝を抜かれました。ハロプロアロハロ系の世界とは明らかに異質な、むしろグラビアアイドルのイメージビデオのテクストブックみたいな構成だった。前にも言ったようにあのおっぱいをどのように扱っていくかというのはアイドルの言説にとって重要な問題だと思います。ハロー!プロジェクトというイデオロギーは性的なオブジェクトに直接言及する言葉を持っていない。おっぱいや性器、性行為といった事柄についてオフィシャルに語られることはなく、そういったものはアイドルファンの主体が定立されるとともにスーパーエゴにより抑圧され、言語の外側、無意識へと追いやられる。でもだからといってアイドル本体が禁欲的に、自らの性的魅力を抑えた振る舞いをしてるわけじゃない。むしろビジュアル的にはエロティックな衣装や振り付けで大いにアピールしているし、言葉においてもきわどい歌詞によりぎりぎりまではアプローチする。でも最後まで言わないってことが大事なんだ。それはsexではなくあくまでsexyであり、言葉にすることなく曖昧に仄めかす、コノテーションという日本文化が最も得意とする表現方法が選ばれています。性的な衝動をシンボリックな言語で置き換えないことで無意識の領域にそれを生かし続け、オフィシャルな言語が構成する主体との間テクスト性としてアイドルの意味を生み出す。主体はそこでは規制と破壊、意識と無意識、言語と非言語の間で揺れ続け、無限に書き換えられる。そんな図式が快感を発生させるものの正体ではないかと思います。ハロプロのみならずアイドルというものは多かれ少なかれ本質的にこの二重性に立脚していると思う。岡田唯の肉体はイデオロギーの向こう側を指し示し、そうした内的なコンフリクトを殊更に強調する顕著な事例と言えるのではないでしょうか。